2019年9月3日火曜日

願成就の真教

 親鸞聖人は「成就文」を重視して信巻に
 「横超は、願成就(十八願成就文)一実(真如一実)円満の真教 真宗是れなり」
と仰せられた。
 成就文の「聞」を聖人は釈して
 「然るに経に聞と言ふは、衆生佛願の生起本末を聞いて疑心有ること無し、是れを
  聞と曰ふ」
と仰せられた。「本願や名号、名号や本願」で、一つである。御文章に曰く
 「南無阿弥陀佛といふ本願をたてましまして・・・・南無阿弥陀佛となりまします」
と。
 凡夫自力の「知解分別」は、まことの信心ではない。ただ本願名号が、何となくたのもしく思われるのを「円解証入」という。是れ即ち真実の信心である。是れを「弥陀たのむ」という。
『法雷』第2号(1977年2月発行)

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よびごえの うちに信心 落處あり

 佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。  佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...