親鸞聖人は「成就文」を重視して信巻に
「横超は、願成就(十八願成就文)一実(真如一実)円満の真教 真宗是れなり」
と仰せられた。
成就文の「聞」を聖人は釈して
「然るに経に聞と言ふは、衆生佛願の生起本末を聞いて疑心有ること無し、是れを
聞と曰ふ」
と仰せられた。「本願や名号、名号や本願」で、一つである。御文章に曰く
「南無阿弥陀佛といふ本願をたてましまして・・・・南無阿弥陀佛となりまします」
と。
凡夫自力の「知解分別」は、まことの信心ではない。ただ本願名号が、何となくたのもしく思われるのを「円解証入」という。是れ即ち真実の信心である。是れを「弥陀たのむ」という。
『法雷』第2号(1977年2月発行)
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