2021年9月28日火曜日

報ぜずんばあるべからず

  • どこの国でも物質文明が進むと、精神文化が衰えるのが通例である。神戸でも今から七十五年ほど前には、毎日説教のある寺が三つあった。いずれも百人以上の参詣人があった。今日では毎日説教のある寺は一ヵ寺もない。この現象は全国的である。

  • 如来さまには無碍の光明がある。この光明の力は、煩悩と菩提とを一つにして下さる力である。この光明があるから凡夫は罪のあるこのままで往生するのである。

  • 「難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」と。五年も十年も二十年もかかって、この言葉を徹底的に味わい味わい得たところが信心である。

  • 信心のある人は必ず念佛を称える。その念佛は報恩行である。報恩は、第一信心をいただくことが報恩である。信心の上から称える念佛が報恩行である。また、大悲をあまねく伝えることが報恩である。身を慎んで、嘘をついたりごまかしをしないのも報恩である。

  • 人間は皆罪の子であるから皆地獄行きであるが、それと同時にすべての衆生は如来さまの慈悲の光明に触れない者は一人もいないから、いつかは皆佛に成れる。すると人間は尊いものである。

稲垣瑞劔師「法雷」第34号(1979年10月発行)

2021年9月20日月曜日

帰命は勅命なり

 六字釈は、善導大師が「玄義分」において聖道諸宗の人たちに宣言された大文字である。
 親鸞聖人は行巻にこれを釈して「ここをもって帰命は本願招喚の勅命なり」と。

 帰命とは帰順ということで、如来の仰せに順うことである。すなわち「本願招喚の勅命」(よびごえ)に順うことである。
 この帰命は、衆生が仰せに順うのであるから、衆生のはたらきである。衆生の信心である。然るに聖人は「帰命は本願招喚の勅命なり」と釈せられた。
 すなわち「機」(信心)を「法」(勅命)で釈せられた。これを法体釈(ほったいじゃく)という。そこに聖人の御親切な甚深(じんじん)の意味がある。

 「自分が信じたのだ」と思えば、それは自力である。
 信ずるということは、如来さまのお慈悲を仰ぎ、仰ぎ、仰ぎ切ったことであるから、信に信の手柄を認めず、帰命のままが本願招喚の勅命に巻き上げられてしまって、全く私なき相(すがた)をあらわされたものである。
 これは、勅命と帰命との間に私が這入(はい)らぬ、自力の何ものも這入らぬ相(すがた)である。
 何ものも這入らなければ、帰命は本願招喚の勅命である。甚深甚深の味わいがある。

稲垣瑞劔師「法雷」第34号(1979年10月発行)

2021年9月12日日曜日

おのれ忘れて願力を仰ぐ

 「至心信樂 己(おのれ)を忘れて速やかに無行不成(行として成らざるなし)の願海に帰す」と『報恩講式』にあるように、己忘れて願力を仰ぎ切ったら大安心である。
 本願力にまかせ切ったのを「法の深信」といい、地獄一定となったのを「機の深信」という。この二つは同一信心の二方面である。

 本願力の偉大なことは「智愚の毒を滅す」と申され、「不可称・不可説・不可思議の信楽なり」と仰せられて、凡夫自力のはからいが皆、如来様に取られてしまったすがたが本願力である。
 本願力にまかせ切った人は、落ち切ったと同じであるから、安心を求めないが、大安心することができる。

 法然上人が仰せられた、「愚痴に還りて極楽に参る」と。
 この愚痴とは、一切凡夫のはからいの捨った境地である。これを「愚痴」という。
 こうすれば参れる、と理屈を付けておる間は本当の愚痴ではない。

 『愚禿鈔』に曰く「今この深信(二種深信)は他力至極の金剛心なり」と。
 二種深信は、講釈が出来ただけではあかん。自分が実際に二種深信の人にならなければ何にもならぬ。
 二種深信はどこから起こるかといえば、凡夫の心から起こるのでなくて、佛智から起こる。それゆえ「機の深信」は、他の宗教で言うところの罪悪感とは訳が違う。

 佛智の眼を以て機を照らせば「無有出離之縁(しゅつりのえん あることなし)」の機の深信となり、佛智を以て法を照らせば摂受衆生(しょうじゅ しゅじょう)の願力を知るのである。佛智円照を抜きにして二種深信を語ることは出来ない。

稲垣瑞劔師「法雷」第33号(1979年9月発行)

2021年9月5日日曜日

どうしても参られぬ 御本願あるから参られる

 浄土門に入って一番難しいことは、素直に聞くということが一番難しい。
 素直に聞いたつもりでも「私はこう思うておる」が出てくる。それが「はからい」というものである。
 自分がこう思うておるから参られるのでない、阿弥陀如来のお慈悲で、佛智不思議で参らせていただくのである。

 「自力無功(じりきむこう)」ということを聞いて、自力を捨てて他力になったような顔をする人が多いが、他力になるのには、苦労に苦労を重ねた挙げ句「どうしても参られぬ」「どう思うても参られぬ」と落ち切るところまで落ち切らなくては他力は分からぬ。
 落ち切らぬ前に「このままのお助けや」などと聞くものだから、それをよいことにしておる。ほとんどが皆この種の同行である。

 真宗の高祖方は、あらゆる佛教の学問をせられた方であるから、無明の研究も、罪の研究も十分しておられる。
 そして、無明煩悩を退治するには八正道・六波羅蜜の修業をせねばならぬということもよくご承知であり、これまで何年か何十年か真剣になって、命懸けで修業されたのであるが、どうしても通れぬという関門にぶち当たられたのである。
 その関門というのは「無我」になれないこと、「愛憎」の情が止まないことであった。その関門にぶち当たって「とても地獄は一定すみかぞかし」と悲鳴を上げられたのである。
 善導大師が「出離の縁あることなし」と申されたのもそこであった。

 今日の凡夫はそんな修行をしたこともなく、そんな関門にぶち当たった体験もないから、地獄行きと言われたとて「どこか地獄行きだ」と言わんばかりに顔をしておる。
 地獄行きが分からぬ人にいくら極楽行きの話をしても馬の耳に風である。そこが信心の難しいところである。それ故、
 「善知識にあふことも
  おしふることもまたかたし
  よくきくこともかたければ
  信ずることもなをかたし」
と聖人は申されてある。

 聖人がこのように申されているのに、説教さえ時々聞いたら信心がいただけるものと思うているのは大間違いである。
 信心を得たら参れると思うておる間は、それは疑いであるから本当の大安心はない。
 そこで安心を目指してもがいても、土台が地獄行きが分からぬものだから、安心など出来そうなはずがない。

 「自分は信心をいただいた」と思うていた、その信心がつぶれ、また「これでお浄土へ往ける」と思うていたのがまたつぶれ、何百回何千回もそんなことを繰り返した後に「どうしても往けぬ」となったのが「とても地獄は一定すみかぞかし」の境地である。
 「とても地獄は一定すみかぞかし」となったら、それが大安心でないか。「機の深信」の中に「法の深信」があるというのはそこのことだ。

稲垣瑞劔師「法雷」第33号(1979年9月発行)

No.139