佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。
佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映った以上、佛を離れようと思っても離れられぬ。この佛心佛智のはたらきを「本願のよびごえ」というのである。
稲垣瑞劔師「法雷」第89号(1984年5月発行)
六、称名念佛をはげむ人 滋賀県にある一人のお坊さんがおられる。なかなか立派な、まじめな御僧である。そのお方は、第十八願の純粋他力の信心を長い間求められたが、どうしても「佛智即行」とか「尽十方無碍光如来一法身 (いっぽっしん) の独立」とか「本願力一つ」とか、また法然上人のお歌...
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