2019年10月10日木曜日

真宗の繁昌

 真宗の繁昌は、一文不知の尼入道が、あぁありがたや南無阿弥陀佛とよろこぶすがたが、声が、行いが、佛法を繁昌させる。大学を卒業した人でも自分に信心のない人が佛法を繁昌させることはほとんどない。親鸞聖人はそのおこころであった。蓮如上人も同様である。

 覚如上人の『報恩講式』に曰く、
  「他力真宗の興行は即ち今師の知識より起こり、専修正行の繁昌は亦遺弟の念力より成ず。流れを汲んで本源を尋ぬるに、偏へに是れ祖師の徳なり」
と。何でも遺弟が念力を込めないことには、真宗は繁昌せぬ。真宗の繁昌とは信心の行者が一人でも殖えることである。

 遺弟の念力はどこから生まれるかと言えば、信心から念力は生まれる。信なき今の世に於いては真宗が繁昌せぬのも道理である。どこへ行っても学徳信熱と揃うた人が少ない。学徒はすべからく一生涯学徳信でやろうと決心するがよい。

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

覚如上人の『報恩講式』に曰く、で引用されている文言で、「今師」と「祖師」とあるのは、親鸞聖人のことであると読ませて頂きました。

光瑞寺 さんのコメント...

私もそう思います。来月は報恩講、大切にお勤めさせて頂きます。

親に連れられてゆく

 まことが大道   如来の「まこと」一つが、涅槃に到る大道である。如来のまことの門が、私一人のために開かれてあるのに、何をくよくよ門の外で泣いているのか。それ「南無阿弥陀佛」と親様が迎えに来られている。 すうと透ればよい  門はいつでも開いておるけれども、自分の方でなんとかして開...