真宗の繁昌は、一文不知の尼入道が、あぁありがたや南無阿弥陀佛とよろこぶすがたが、声が、行いが、佛法を繁昌させる。大学を卒業した人でも自分に信心のない人が佛法を繁昌させることはほとんどない。親鸞聖人はそのおこころであった。蓮如上人も同様である。
覚如上人の『報恩講式』に曰く、
「他力真宗の興行は即ち今師の知識より起こり、専修正行の繁昌は亦遺弟の念力より成ず。流れを汲んで本源を尋ぬるに、偏へに是れ祖師の徳なり」
と。何でも遺弟が念力を込めないことには、真宗は繁昌せぬ。真宗の繁昌とは信心の行者が一人でも殖えることである。
遺弟の念力はどこから生まれるかと言えば、信心から念力は生まれる。信なき今の世に於いては真宗が繁昌せぬのも道理である。どこへ行っても学徳信熱と揃うた人が少ない。学徒はすべからく一生涯学徳信でやろうと決心するがよい。
2 件のコメント:
覚如上人の『報恩講式』に曰く、で引用されている文言で、「今師」と「祖師」とあるのは、親鸞聖人のことであると読ませて頂きました。
私もそう思います。来月は報恩講、大切にお勤めさせて頂きます。
コメントを投稿