「願力の不思議」で助かるのである。
よんで下さるから参られるのである。
眼がつかぬか。
眼がついたら「忝うございます」より外はあるまい。
眼がついたら懺悔の念佛と、讃嘆のお念佛より外はあるまい。
百万劫に一たび眼がつくのである。
それを「真実の浄信は億劫にも獲叵し」と仰せられたのである。
先年亡くなられた滋賀県犬上郡甲良町長寺の北川孫兵衛さん(昭和36年10月14日往生 83歳)は臨終に、
「先生、御安心は易いようじゃが、むつかしいものですねえ!」
と申された。また、
「親様がなあ!」
と申された。一生涯の聴聞は「親様がなあ!」のことばのうちにおさめられてある。
あの光った眼、よろこびの顔。大心海より流れあらわれた、あの歓喜のお念佛の声が、今もなお、まざまざと眼に見える心地がする。
大阪東住吉区西今川町の松根和吉さんは、昭和37年1月25日に89歳で往生された。その夜長男の正雄さんに、夢に現れて、
「正雄、正雄。人並みに聞いたら人並みに落ちるぞ。仕事はいつまでも一生涯あるから、時をつくって聞けよ」
というて消えてしまった。
このことを正雄さんから私が聞いたのは同年3月11日であった。「人並みに聞いたら人並みに落ちるぞ」の一言は千鈞の値打ちがある。
稲垣瑞劔師「法雷」第15号(1978年3月発行)
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