他の宗教のように、神話かお伽噺に近いような簡単な宗教であれば、統一眼もなくてもよいかも知れぬが、大乗佛教のような大きな宗教、奥深い宗教になれば、統一眼を養うことが大切である。
統一眼なくしては、説教を聞いても、書物を読んでも、重箱の隅をほじくるようなことに終わってしまう。
聖道門を窺うとき、どのような統一眼がなければならぬかといえば、般若心経の「色即是空」である。これが大乗佛教の根本原理である。
この根本原理から、華厳・天台・真言・禅などの教義が生まれてくる。無我や無分別の悟りというも、この原理が身に付いたまでのことだ。
また「色即是空 空即是色」から、天台の空・仮・中の三諦円融の思想も生まれる。
人間の哲学思想は、これが最高峰で、これ以上には出られぬ。これが分からなければ大乗佛教は根本的に分からぬ。
稲垣瑞劔師「法雷」第25号(1979年1月発行)
2 件のコメント:
「無我や無分別の悟り」とありますが、
私という固定した実体はなく、自分が自分がと他と分けて
区別するようなこともなく、大乗では独立した私一人で生
きるのではなく、支えあっていくものと教えていただいて
おります。まことに有難い仏の教えです。
我執を離れ、自他を平等に観じ、観じるままに自他を利益していくことを尊ぶ。大乗精神の要が凝縮された一句ですね。知解で済ませてはもったいないことです。
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