2021年3月19日金曜日

統一眼

 他の宗教のように、神話かお伽噺に近いような簡単な宗教であれば、統一眼もなくてもよいかも知れぬが、大乗佛教のような大きな宗教、奥深い宗教になれば、統一眼を養うことが大切である。
 統一眼なくしては、説教を聞いても、書物を読んでも、重箱の隅をほじくるようなことに終わってしまう。

 聖道門を窺うとき、どのような統一眼がなければならぬかといえば、般若心経の「色即是空」である。これが大乗佛教の根本原理である。
 この根本原理から、華厳・天台・真言・禅などの教義が生まれてくる。無我や無分別の悟りというも、この原理が身に付いたまでのことだ。

 また「色即是空 空即是色」から、天台の空・仮・中の三諦円融の思想も生まれる。
 人間の哲学思想は、これが最高峰で、これ以上には出られぬ。これが分からなければ大乗佛教は根本的に分からぬ。

稲垣瑞劔師「法雷」第25号(1979年1月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

「無我や無分別の悟り」とありますが、

私という固定した実体はなく、自分が自分がと他と分けて
区別するようなこともなく、大乗では独立した私一人で生
きるのではなく、支えあっていくものと教えていただいて
おります。まことに有難い仏の教えです。

光瑞寺 さんのコメント...

我執を離れ、自他を平等に観じ、観じるままに自他を利益していくことを尊ぶ。大乗精神の要が凝縮された一句ですね。知解で済ませてはもったいないことです。

よびごえの うちに信心 落處あり

 佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。  佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...