- 恩師 桂利劔先生は、宗教の勉強中に眠気が催しては勉強ができぬと申されて、蕎麦の粉を一日に一杯ずつ食べて、二年間それを続けられた。
東陽円月という学者は、二階に上がって二年間、下に降りてこられなかった。
天台宗の碩学 宝池房証真師は、洞窟の中に入って勉強に耽り、京都に居ながら源平の乱を知らなかったということである。
- 桂先生は、六十余歳の御時、『教行信証』の真髄、法雷学派の真精神を、原稿用紙に綴って四十四巻お書きになった。瑞劔は六ヶ年を費やして原稿を整理して、いよいよ出版に取りかかった。時に昭和十九年、米国の爆弾は毎日のように雨下した。
先生は昭和十九年四月二十七日、自坊 滋賀県能登川町今の光台寺に於て御往生された。「法雷院利劔師」と号した。
原稿は、先生の滅後 昭和三十三年三月十五日に京都の百華苑より『教行信証大系』の名の下に出版した。無上甚深の宝典である。
- 世の中の人は、誰も彼も皆苦しい苦しいといっておる。
一たび「自信教人信」と踏み出すと、不思議なことには、こういう苦しい娑婆であればこそ佛法が説ける、と苦しみの中から希望が湧き出で、この娑婆が大法弘宣の道場と化する。
稲垣瑞劔師「法雷」第28号(1979年4月発行)
2 件のコメント:
法雷学派とか、『教行信証大系』出版とありましたので、少し調べてみました。
この『教行信証大系』第一巻教の巻に、
…本願を疑う疑惑は、明かに「顕に」破られるのであるが(顕益)、貪瞋煩悩は(仏の知見にたてば)、「密に」は(密益)破られておるのであります。…
と記載があるそうです。前後も含めて、読んでみたいところです。
学会の論文に法雷学派の文章が取り上げられているんだ・・・と、そんなところに感心してしまいました。
字体は古いし難しいですが、何度読んでも飽きることがありません。
名著と言って差し支えないと思います。
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