心の病気
師匠につかぬと、心の病気が治らぬ。凡夫は知らず知らずに、多く聞き、多く読み、涅槃のために役に立たぬことを、かれこれとはかろうておる。その病気を治してくださるのが師匠である。吹いたら飛ぶような学問では、死出の山路の関所は通られぬ。
命のつな
凡夫の力では、とても「本願力一つ」に眼がつかぬ。命のつなは、ただ一本である。千万年考えても、深いことを知っても、自身の往生のためには何の役にも立たぬ。
自力と他力
自力の修業というのは、凡夫が佛に成る道程である。他力とは、佛に成った阿弥陀如来の本願力である。名号の功徳は無尽で、如来の智慧海は大きくて底知れぬ。
第十八願の声
本願とは第十八願である。力とは南無阿弥陀佛という正覚の威神功徳力である。それが一つになったのを「本願力」という。本願力と佛智不思議とは一つである。佛智不思議によって本願力の不思議がある。「若不生者 不取正覚」の本願はよびごえである。二利円満の正覚の声である。正覚の功徳力を信じたのを「よびごえを聞いた」という。
何がむつかしいか
何がむつかしいかというたところで、佛を凡夫に知らせるほど難しいことはない。久遠実成の阿弥陀佛は、南無阿弥陀佛という本願を建てて喚んでくだされている。佛に衆生を助くる大智大悲と、本願力がある。凡夫には分からぬ。分からぬのが事実である。如来の照育によって、それが信ぜられる。
稲垣瑞劔師「法雷」第85号(1984年1月発行)
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