お釈迦様や、高僧方の書物は浮世の書物とちがって、一ぺんや十ぺんや、三年や五年で、たとい一枚の教語でも、わかるものでない。法然上人の一枚起請文でも、源信和尚の横川法語でも、蓮如上人の末代無智の御文章でも、聖人一流の御文章でも、いずれも一枚に足らぬ短いものであるが、あれが三年や五年でわかる人はあるまい。後生の問題が苦になってから二十年位して、やっとわかるのがふつうである。うかうかしておっては一生涯わからずに終わるのである。真剣にならねば佛法はわからぬというのはこの事である。
稲垣瑞劔師 「法雷」創刊号(1977年1月発行)
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