2019年12月26日木曜日

よびごえを聞くとは

「よびごえを聞く」とは、
死にがけに真っ暗闇が出て来ても、
どうにもこうにもなれぬようになったその時にも、
今でも、
阿弥陀如来の本願力という大悲大智の力で、
南無阿弥陀佛の功徳力で、
往生させて下さる事実を、
「よびごえを聞く」というのである。
聞いたこと、思うておること、何もかも役に立たぬ。
真っ暗闇でないか、それが分からんか。
ー 稲垣瑞劔師『法雷』第5号(1977年5月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

「よびごえを聞く」は、ただ今救われるのですよ。

3行目の「その時にも、」4行目の「今でも、」は、
臨終に業成する人もいるが、平生に業成するのですよ。

と味わせて頂きました。

土見誠輝 さんのコメント...

「おほよそ大信海を案ずれば、・・・尋常にあらず臨終にあらず、・・・」
(教行信証信巻)
現代語訳では、「この他力の信心についてうかがうと、・・・平生に限るのでもなく、臨終に限るのでもない。
・・・」
とあります。

空手にて いたゞく寳 無尽蔵

 今死ぬとなれば、何一つ役に立つものはない。 役に立つものを一つも持ち合わさないでお助けくださるから、ありがたい。 「ありがたい」とは、如来の不可思議力を不思議と仰いだところに、おのずから湧きおこる歓喜である。 念佛者は、信心歓喜の生活である。 稲垣瑞劔師「法雷」第91号(198...