2020年1月30日木曜日
2020年1月18日土曜日
「無量寿佛 威神無極」
昭和51年5月26日、神戸の六十八歳になる井口廣さんが亡くなられた。
病中、いくら有難いことを言っても、書いて送っても、少しも聞こうとしなかったが、病漸く重くなったことを聞いて、これが私が申し上げる最終の言葉として
「南無阿弥陀佛の功徳力にて往生す」
と書き送った。
すると不思議なことには、この言葉だけ見て涙をこぼして喜ばれた。それから二三日して亡くなった。他の如何なる言葉も受け付けなかった彼の人が、この言葉を読んで初めて感激の涙をこぼして喜ばれた。
これは南無阿弥陀佛(無量寿佛)の威神功徳不可思議である。
ここに「南無阿弥陀佛の独立」を見るのである。
病中、いくら有難いことを言っても、書いて送っても、少しも聞こうとしなかったが、病漸く重くなったことを聞いて、これが私が申し上げる最終の言葉として
「南無阿弥陀佛の功徳力にて往生す」
と書き送った。
すると不思議なことには、この言葉だけ見て涙をこぼして喜ばれた。それから二三日して亡くなった。他の如何なる言葉も受け付けなかった彼の人が、この言葉を読んで初めて感激の涙をこぼして喜ばれた。
これは南無阿弥陀佛(無量寿佛)の威神功徳不可思議である。
ここに「南無阿弥陀佛の独立」を見るのである。
稲垣瑞劔師「法雷」第6号(1977年6月発行)
2020年1月12日日曜日
2020年1月5日日曜日
弥陀の大悲ふかければ
凡夫が如何ほど勉強したとて、考えたとて、信じたと思うたからとて、往生できるものではない。阿弥陀如来の超世希有、不可思議悲智の本願、「南無阿弥陀佛落としはせぬぞ」と、仰せ下さるから助かるのである。
一たびこの処に目覚めぬ限り、思想はからいの堂々めぐりばかりやっておるのである。
嗚呼大なる哉、超世殊勝の本願、佛智大悲の親さまの真実心の底が知れぬ。この一葉、千思して可なり。
一たびこの処に目覚めぬ限り、思想はからいの堂々めぐりばかりやっておるのである。
嗚呼大なる哉、超世殊勝の本願、佛智大悲の親さまの真実心の底が知れぬ。この一葉、千思して可なり。
ー 稲垣瑞劔師「法雷」第6号(1977年6月発行)
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