2020年8月11日火曜日

本典総序の聖句(三)

 極楽荘厳は、そのまま現土に現れて『大経』となり、『教行信証』となり、「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」の聖句となって現れて下さった。聖句に遇うのは、如来様に遇うたと同じである。聖句に徹するところ、即ち信心歓喜である。

 一句をおろそかにする者は、千万言もおろそかにする人である。一破一切破、一断一切断である。
 「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」
 この一句で腹のふくれぬはずはない。生死の雲霧の晴れぬはずはない。

 「信心」を品物のように思い、「信心」を影法師のように思って、追い駆け追い駆けしておることを止めて、三十年一日の如く、この聖句に参ずるがよい。佛語に虚妄なし。聖人なんぞ衆生を誤りたもうことあらんや。
 
 「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」
の一句は、広大にして法界に周遍し、長遠にして未来際を尽くす。これ即ち佛勅であり、佛語である。佛教この中に在り、佛願この中に在る。これぞ往生極楽の要路である。

 「無碍」という言葉を聞けば、直に「帰命尽十方無碍光如来」を憶念させられる。
 「無碍光如来」は吾等のための「真実功徳相」である。これ即ち南無阿弥陀佛である。
 天親菩薩も、曇鸞大師も、高祖聖人も、無碍光佛に帰命せられた。往生極楽の道、この外にあることなし。

 「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」
 噫、なんと、うれしい、なつかしい聖句であることよ。

稲垣瑞劔師「法雷」第14号(1978年2月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

2020年の法雷カレンダーの8月には、
「助ける法の外に 助かる機なし(瑞劔)」とありました。

「無碍の光明(法)は無明の闇(機)を破する恵日なり」
と味わい、機と法は一体ということであるのかなと。

光瑞寺 さんのコメント...

旭日が東天に昇って闇夜が霧散するごとく、「助ける法」の無碍の光明が燦然と輝いている風情ですね。

「法界唯だ無碍光の照耀あるのみ」(桂利劔師)

よびごえの うちに信心 落處あり

 佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。  佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...