2021年10月16日土曜日

一字一光

 親鸞聖人のえらいところは、高僧の説を正しく信じ、正しくお説き下されたところが聖人のえらいところである。
 親鸞聖人の『教行信証』は、一字一句 如来さまのお慈悲の光明である。
 それを末世の衆生に知らせてやりたいと思し召して、一生涯食うものを食わず、着るものを着ずして、千辛万苦のうちにお書き残して下されたのが『教行信証』一部六巻のお聖教である。
 ゆえに、『教行信証』を拝読して如来さまのお慈悲のわからぬものは、「論語読みの論語知らず」である。

 浄土真宗は「行」と「信」とが往生の因である。「行」とは阿弥陀佛の勅命、本願の勅命である。「信」とは、如来の勅命に順うたのが「信」である。
 順うと言うても、おのれが素直で、賢くて順うたのではない。およびごえの佛智、よんで助けて下さる如来さまの大慈悲心が強いものだから、水火をも忘れて「有り難うございます」と自然に頭が下がったのが「信」である。
 唯だ是れ南無阿弥陀佛のひとりばたらきであり、本願力のひとりばたらきである。

稲垣瑞劔師「法雷」第35号(1979年11月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

「一字一句 如来さまのお慈悲の光明である。」
とあります。
如来さまの慈悲と智慧をあらわす、
光明が無量であると第十一願に誓われています。

寿命が無量であると第十二願に誓われていますが、
それは如来さまの能力をあらわすのだと、
教えていただいております。

光瑞寺 さんのコメント...

2020年8月11日の投稿で
「極楽荘厳がこの娑婆に現れて『大経』となり、『教行信証』となった」
という一文がありました。
お浄土も『大経』も生きており、その生命を受けてお書きくださった親鸞聖人の御文にも、如来さまの光寿が通って下さっています。

よびごえの うちに信心 落處あり

 佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。  佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...