佛教は単に死の解決のみではない。また単に安心立命のみでない。
宇宙人生の問題を根本的に解決し、迷悟染浄の因縁を明らめ尽くされた、大覚 釈迦牟尼世尊の教法に順って、各自が釈迦牟尼世尊の到達了悟せられた大涅槃境に入るための教法であり、教道である。
また如来悲智の活動の流れに乗じて、その同一の活動をする身に成るのが佛教である。
死は一つの関門であるが、生存中に「大涅槃に必ず到り得る」という自覚と保証が与えられるのが、現生における本願力回向の利益である。大涅槃に到りてここに志願満足し、利他の行を行ずることが出来る。これすなわち菩薩の境界である。
稲垣瑞劔師「法雷」第18号(1978年6月発行)
2 件のコメント:
仏教の特色は「迷悟染浄の因縁」とありました。
言われてみればそのとおりなのでしょうが、あまり御聖教で見かけることが
無かったので、少し調べてみました。
『顕名鈔』に
「迷悟・染浄、一切の万法ことごとく阿弥陀の三字に摂在せずといふことなし。」
とあり、存覚上人のお言葉ですが、こちらの方がしっくりとします。
すべて抱きとられているのです。
「迷悟染浄の因縁」という表現、お聖教にはないのですね。
瑞劔師の著述ではよく出るので慣れていましたが、もとは余宗(天台宗や禅宗など)の典籍に出ているのかもしれません。
『顕名鈔』は天台宗を意識して書かれたものでしょうか、「本有の理性をわすれ」や「衆生もかの寿命よりいでて」など、真宗の頭では読みにくい表現も用いられていますね。
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