「よびごえ」はどこにあるか、どこに響いておるか。
帰命尽十方無碍光如来を憶念させていただくとき、そこに響いておる。
如来さまは尽十方無碍光如来なるが故に、どこにもござる。常に無碍の光明を放って、生死即涅槃ならしめたもうはたらきを聞かせて下さっている。
おれの方に生死即涅槃ならしめるはたらきがあり、力があり、光明があるから心配するな
と如来さまの全身が、そう仰せられている。これすなわち「よびごえ」である。
南無阿弥陀佛というも、「よびごえ」というも、本願力というも、皆これ親さまの大慈悲心であり、大慈悲力である。
み佛の お慈悲ひとつで たすかるを
おもうもいうも おろかなりけり(瑞劔)
如来さまの大慈悲心にふれさせていただいたのを見佛という。これすなわち聞見である。聞いたのが見たことである。この世から如来様に遇わせていただいた幸せは何物にも比べようがない。
稲垣瑞劔師「法雷」第18号(1978年6月発行)
2 件のコメント:
「よびごえ」はどこにあるか、どこに響いておるか。
喚び声はいまここに届いている。
「摂め取って捨てない」摂取不捨の真言(まことのことば)
阿弥陀様の無限の暖かい慈悲のこころを感得すればよいのです。
本当に「よびごえ」は、いまここでなければ私の救いにはなりません。
そして「生死即涅槃」でなければ、凡夫の救いにはなりません。
コメントを投稿