稲垣瑞劔師(明治18年~昭和56年)のお言葉を通して阿弥陀さまのお慈悲を味わってまいります
言うこともなく、
思うこともなく、
為すこともなく、
「信心」という言葉さえ忘れて、ただ
如来様がありがたい、
南無阿弥陀佛がありがたい、
大悲の本願がありがたい、
「そのまま助くるぞ」の勅命が
ありたがたくなる。
勅命を国語辞典で調べると、天皇の命令、天子の命令、みことのり、などとありました。ずべてを度外視して、命令されているので、絶対に従うしかないし、すべてのものが従わさせられるのです。
単なる強権ではなく、「すべてを度外視して」、そこに佛智の尊さを仰がせていただきます。
コメントを投稿
世の人は「救い」「救い」と言っておるが、「救い」とは何であるか、殆どすべての人が「救い」を知らない。死を宣告された人から見ると、五欲街道の修理は「救い」でない。 真の救いは、救う人と同じ境地に到達してこそ「救われた」と言えるのである。あるいは、救う人の境地に必ず行けるという大...
2 件のコメント:
勅命を国語辞典で調べると、
天皇の命令、天子の命令、みことのり、などとありました。
ずべてを度外視して、命令されているので、絶対に従うしか
ないし、すべてのものが従わさせられるのです。
単なる強権ではなく、「すべてを度外視して」、そこに佛智の尊さを仰がせていただきます。
コメントを投稿