真宗は廃立(はいりゅう)をやかましく言う。廃立とは、悪い教えは廃し、正しい教えを立てる、これを廃立という。真宗は四重(しじゅう)の廃立を立てる。
㈠「内外(ないげ)廃立」とは、外道を捨てて、佛教を用いる。
㈡「聖浄(しょうじょう)廃立」とは、聖道門を捨てて、浄土門を用いる。
㈢「要弘(ようぐ)廃立」とは、十九願を捨てて、十八願を用いる。
㈣「真弘(しんぐ)廃立」とは、二十願を捨てて、十八願を用いる。
十八願の真実信心に入るには、過去世に於いてか現在世に於いてか、まず外道を捨てて聖道門に入り、聖道門から浄土門に入る。浄土門に入っても、始めは十九願に入る。
十九願とは、「修諸功徳の願」といって善い事をし、禅定を修し、念佛も称えて往生しようとするのが十九願である。つまり定散行を修して往生を志願するのが十九願である。
二十願とは、「定散行」は廃(すた)ったが、何ぞして参ろうとする心がある、すなわち「定散心」が残っておる。その定散心をもって念佛一行を修して往生を志願するのを二十願という。
十八願とは、定散心も廃(すた)って、「名号の功徳」「本願力一つ」で往生すると心が定まったのを十八願というのである。
いかなる人も、十九願から二十願に入り、二十願から十八願に転入するのである。これを「三願転入」という。
稲垣瑞劔師「法雷」第35号(1979年11月発行)
2 件のコメント:
覚如上人の著作である『改邪鈔』に、
真宗の門においてはいくたびも廃立をさきとせり。「廃」といふは、捨なりと釈す。…中略…
「立」といふは、すなはち、弥陀他力の信をもつて凡夫の信とし、弥陀他力の行をもつて凡夫の行とし、弥陀他力の作業をもつて凡夫報土に往生する正業として、この穢界を捨ててかの浄刹に往生せよとしつらひたまふをもつて真宗とす。
とありました。
自分本位の心があるために自分本位の行に手を染める。この自力執心の雑行雑修を廃し、本願相応の念佛行、すなわち唯信正因を立てる。廃立は、佛智に適うところにその意義が明らかになります。
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