正覚の不思議・願力の不思議・佛力の不思議・佛智の不思議、不思議 不思議で参る極楽。
不思議を他の言葉で表したら「親様」ということになる。
如来様は「親様」である。「親様」から見れば、子供の善悪はなし。いかなる子も一様に御慈愛くださる。大悲の如来様は大悲の親様である。
大悲の親様は、
見てござる
護ってござる
待ってござる
お浄土で待ってござる
心配することはない。「このまま」である。
佛智の不思議・願力の不思議は「親様」と同じことである。
本願力にて往生す。
佛智の不思議にて往生す。
親様が待ってござる。
往生は、
親様ござる 何の事ないわい。
凡夫は妄念のかたまり、タドン玉。芯の芯まで妄念ばかり。思うこと、すること、皆妄念。
タドン玉が「知っておる」「思うておる」では参られぬ。
「佛心」「佛力」「本願力」の火がつけば、タドンでも火になる。親様が私のそばに来て下さった、タドン玉が火になる。不思議じゃ、不思議じゃ。
「親様」と言えば、不思議 不思議より外にはない。
南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛
稲垣瑞劔師「法雷」第38号(1980年2月発行)
2 件のコメント:
「タドン」を手元の広辞苑で調べてみました。
炭団(たどん)木炭・石炭の粉末にふのりなどをまぜ、球状に固めて乾した燃料。
とありました。
初めて、見せていただいた時、真っ黒な塊で、中を削っても真っ黒、
どこどこまでも真っ黒ですが、一度、火がつくと暖かいものです。
「タドンに火がついて暖かくなる」と同じ構図を「信巻」に、
「たとへば火、木より出でて、火、木を離るることを得ざるなり。木を離れざるを以ての故にすなはち
よく木を焼く。木、火のために焼かれて、木すなはち火となるがごとし」
とあります。
如来さまが、枯木の私たちを火にして下さる。信心は、如来回向の信心であります。
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