2021年12月16日木曜日

安心

 正覚の不思議・願力の不思議・佛力の不思議・佛智の不思議、不思議 不思議で参る極楽。
 不思議を他の言葉で表したら「親様」ということになる。
 如来様は「親様」である。「親様」から見れば、子供の善悪はなし。いかなる子も一様に御慈愛くださる。大悲の如来様は大悲の親様である。

 大悲の親様は、
  見てござる
  護ってござる
  待ってござる
    お浄土で待ってござる
  心配することはない。「このまま」である。

 佛智の不思議・願力の不思議は「親様」と同じことである。
  本願力にて往生す。
  佛智の不思議にて往生す。
  親様が待ってござる。

 往生は、
  親様ござる 何の事ないわい。

 凡夫は妄念のかたまり、タドン玉。芯の芯まで妄念ばかり。思うこと、すること、皆妄念。
 タドン玉が「知っておる」「思うておる」では参られぬ。

 「佛心」「佛力」「本願力」の火がつけば、タドンでも火になる。親様が私のそばに来て下さった、タドン玉が火になる。不思議じゃ、不思議じゃ。
 「親様」と言えば、不思議 不思議より外にはない。
 南無阿弥陀佛 南無阿弥陀佛

稲垣瑞劔師「法雷」第38号(1980年2月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

「タドン」を手元の広辞苑で調べてみました。
炭団(たどん)木炭・石炭の粉末にふのりなどをまぜ、球状に固めて乾した燃料。
とありました。
初めて、見せていただいた時、真っ黒な塊で、中を削っても真っ黒、
どこどこまでも真っ黒ですが、一度、火がつくと暖かいものです。

光瑞寺 さんのコメント...

「タドンに火がついて暖かくなる」と同じ構図を「信巻」に、
「たとへば火、木より出でて、火、木を離るることを得ざるなり。木を離れざるを以ての故にすなはち
よく木を焼く。木、火のために焼かれて、木すなはち火となるがごとし」
とあります。
如来さまが、枯木の私たちを火にして下さる。信心は、如来回向の信心であります。

よびごえの うちに信心 落處あり

 佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。  佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...