自己を完成して佛に成る道が聖道門、難行道である。宗派で言えば、華厳・天台・真言・禅などであるが、その真理の深いことは世界一で、驚くべきものがある。
本願一乗は、その最高の真理に裏付けられた、凡夫直入の大宗教である。聖道門は、本願一乗すなわち阿弥陀如来の大智海の波である。
浄土門は、如来が衆生の信も行も完成してくださって正覚を取られた。その正覚、南無阿弥陀佛の功徳力にて往生するのが浄土門である。
阿弥陀如来の正覚の功徳は、南無阿弥陀佛の功徳である。
南無阿弥陀佛の功徳は、浄土の荘厳の功徳である。
その正覚の功徳力にて衆生を往生せしめようと、超世の願を建てて下さったのが本願である。
本願は必ず成就する。それが本願力である。
本願が成就したのが南無阿弥陀佛という正覚であり、極楽無為涅槃界、すなわちお浄土である。
衆生は如来の正覚の功徳力にて往生する。すなわち南無阿弥陀佛の功徳力にて往生するのである。言い換えれば、如来の本願力にて往生するのである。
浄土の荘厳は不可思議功徳であって、荘厳のまま佛身であり、また南無阿弥陀佛である。
浄土の荘厳の一一の華の中よりは、三十六百千億の光明をてらして、その光明のうちに佛身を現じて、妙法を説きたもう。
浄土の荘厳は、荘厳のまま娑婆世界に現れて、凡夫往生の大法門たる教行信証となり、また大部のお経となって下さったのである。
稲垣瑞劔師「法雷」第40号(1980年4月発行)
2 件のコメント:
私たち衆生は、如来の本願力にて往生する。
とあります。
『正信偈』では、「本願名号正定業」と教えていただいているところです。
本願の名号は正定の業なりということですが、
正定業とは、正しく衆生の往生が決定する業因です。
救いの法はできている。救いの法が私のところに届いて、初めてさとりを得らせてもらえる身となる。
出来上がっている救いの法、南無阿弥陀佛がそのまま私の至心信楽となって下さる。
「至心信楽願為因」
コメントを投稿