2022年1月16日日曜日

正覚の華より化生せしめんがために

 自己を完成して佛に成る道が聖道門、難行道である。宗派で言えば、華厳・天台・真言・禅などであるが、その真理の深いことは世界一で、驚くべきものがある。
 本願一乗は、その最高の真理に裏付けられた、凡夫直入の大宗教である。聖道門は、本願一乗すなわち阿弥陀如来の大智海の波である。

 浄土門は、如来が衆生の信も行も完成してくださって正覚を取られた。その正覚、南無阿弥陀佛の功徳力にて往生するのが浄土門である。

 阿弥陀如来の正覚の功徳は、南無阿弥陀佛の功徳である。
 南無阿弥陀佛の功徳は、浄土の荘厳の功徳である。
 その正覚の功徳力にて衆生を往生せしめようと、超世の願を建てて下さったのが本願である。

 本願は必ず成就する。それが本願力である。
 本願が成就したのが南無阿弥陀佛という正覚であり、極楽無為涅槃界、すなわちお浄土である。

 衆生は如来の正覚の功徳力にて往生する。すなわち南無阿弥陀佛の功徳力にて往生するのである。言い換えれば、如来の本願力にて往生するのである。

 浄土の荘厳は不可思議功徳であって、荘厳のまま佛身であり、また南無阿弥陀佛である。
 浄土の荘厳の一一の華の中よりは、三十六百千億の光明をてらして、その光明のうちに佛身を現じて、妙法を説きたもう。
 浄土の荘厳は、荘厳のまま娑婆世界に現れて、凡夫往生の大法門たる教行信証となり、また大部のお経となって下さったのである。
 
稲垣瑞劔師「法雷」第40号(1980年4月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

私たち衆生は、如来の本願力にて往生する。
とあります。

『正信偈』では、「本願名号正定業」と教えていただいているところです。

本願の名号は正定の業なりということですが、
正定業とは、正しく衆生の往生が決定する業因です。

救いの法はできている。救いの法が私のところに届いて、初めてさとりを得らせてもらえる身となる。

光瑞寺 さんのコメント...

出来上がっている救いの法、南無阿弥陀佛がそのまま私の至心信楽となって下さる。
「至心信楽願為因」

よびごえの うちに信心 落處あり

 佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。  佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...