無碍の光明(無碍の佛智)は、煩悩の心を、そのまま菩提の水に変えてくださる佛智のはたらき、本願弘誓のはたらきである。これを「一乗海」といい、また「弘誓一乗海」という。
天親菩薩の「一心帰命」のおこころは、親鸞聖人の心の鏡にそのまま映った。
また法然上人の念佛往生の心を、「信心一つじゃぞ」とお示しくだされたのが御開山様である。
南無阿弥陀佛は招喚の勅命であり、またその勅命に順う信心も、勅命のうちに成就してくださっている。信心とて南無阿弥陀佛の本願力以外のものではない。これを「大行即大信」という。
くるいのない信心、うごきのない信心を金剛心という。金剛心は菩提心である。菩提心は如来様が「よびごえ」をかけて、信ぜしめて、お助け下さる「みこころ」である。
お念佛はよいものである。精出して称えさせていただくがよい。その中に大悲の本願力を味わわせていただける。佛心か自分の声か、その辺のところは詮索するに及ばぬ。
南無阿弥陀佛は称えるのが易いからというだけではない。功徳が勝れていることを知らしめんがための思し召しである。易く称えさせて、易く名号不思議の功徳力を信ぜしめんがためである。
念佛者は、世間の道徳の標準より一分でも一寸でも高く出ていなければ、人が佛法を聞いてくれぬ。これは念佛者のつつしみである。
稲垣瑞劔師「法雷」第54号(1981年6月発行)