2022年6月20日月曜日

妙好人

 妙好人という人がある。あれはあれ、わしはわしじゃ。
 妙好人が何がけなるい(うらやましい)か。あの花は赤う咲いているのよ。わしは白う咲いているだけのこと。往生は赤う咲こうが白う咲こうが、乃至紫に、黄色に、どういう色にでも咲かせてもらう通りに咲けばよいでないか。
 妙好人伝といったものが出るから、迷う人が多く出るのや。妙好人に迷うようでは「親鸞一人がためなりけり」は、どうなったであろうか。

 妙好人はよい人じゃ、えらい人じゃ。それには間違いないが、あまりに美しいお手本を見せ付けられると毒になる。凡夫は美しいものと違う。
 きたないものがきたなく咲くのに、何の不思議があろうか。このきたないのを見させてくださった如来の真実心の美しさ、あの美しさを見とれているのが私の役目じゃ。自分が美しくなって何になる。他人様から美しう見えたら、大方は似せものかも知れぬ。
 そうかと言うて、強いて泥棒することもいらぬ。嘘つくこともいらぬ。いらぬいらぬの日暮らしの気楽さ。

稲垣瑞劔師「法雷」第56号(1981年8月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

妙好人はよい人じゃ、えらい人じゃ。それには間違いないが、あまりに美しいお手本を見せ付けられると毒になる。
とありますが、

「お手本」なので、それを真似させて頂ければと思うし、それを学ばせて頂ければと思います。

光瑞寺 さんのコメント...

この当時では「妙好人」はお手本となりうる身近な存在だったということでしょうか。私などは、妙好人にまつわるもろもろの伝承が、あたかも語り継がれた伝説のように映ります。

よびごえの うちに信心 落處あり

 佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。  佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...