人生は不思議な、妙なもので、苦しい苦しいと人は言うておる。これはほんまじゃ、無常火宅の世であるから、苦しい辛いのは当たり前。根性が悪いから、よけいに苦しむのである。
業報を知ってみよ、十の報いが二つか三つに減って報うてきた。これは如来様のお蔭と思えば、苦の中からもよろこびが生まれてくる。
楽を追い求めるものは苦を招き、人を苦しめるものは苦に終わる。
楽の中に楽なく、苦の中に楽がある。
苦も楽も、この世の中にあるものは、所詮は苦である。
この苦しい世にいて、人と共に苦しんで、苦しみつつ、佛法を弘める、これほど楽しいことはない。これを法楽といい、妙楽という。
こんな楽しみは、この世のものでない、極楽の楽しみの影が浮世に差したものであろう。
生き物を殺さぬようにして、人を助けるようにすれば、長寿をする。佛様を大切にして親に孝行をすれば、運命が開けて、幸福が湧いてくる。
み佛の おしえをふかく かしこみて
親に孝行 これが幸福
稲垣瑞劔師「法雷」第58号(1981年10月発行)
2 件のコメント:
佛様を大切にして親に孝行を
とありますが、
示或人詞に
孝養の心をもてちちははをおもくしおもはん人は、まづ阿弥陀ほとけにあづけまいらすべし。
わが身の人となりて往生をねがひ念仏する事は、ひとへにわが父母のやしなひたてたればこそあれ。
と教えていただいています。
法然聖人のお言葉ですか。こうして初めてお聞きすることで、今まで開いたことのないお聖教の頁を拝読することができます。有り難うございます。
「父母(ちちはは)の 御恩を深く 思ふべし
弥陀たのむ身を 育ておきつる」 (稲垣瑞劔師)
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