2022年9月15日木曜日

往生三カ条(三)

 三十年説教を聞いても、私は聞かぬ昔と少しも変わらぬ。自分で何ぞ変わった、有り難そうなところが出来たかというと、少しも変わらぬ昔のままである。
 この心が少しは善くなったかと思うと、そうではなく、昔の通り腹も立つ、欲も出る、人の悪口言うのも止まぬ。

 変わったところといえば、聞けば聞くほど、ますます地獄ならでは行き所のない、罪悪深重のいたずら者であるということを知らされただけである。
 そして、今まで幾千万べん聞かしてもろうていても気が付かなかった「親様」が、「親様」ということが分かった。
 また、今まで何べん聞いても眼が付かなかった「本願力」が、「本願力」と眼を付けさせていただいた。それだけのことである。阿弥陀様はありがたい。

 阿弥陀様は、どんなものをお助け下さるか。

 五逆罪を造ったものでも、佛法を謗ったものでも、佛法に縁の少ないものでも、回心懺悔して「親様なればこそ」と一たび「親様」ということに気付かせていただいたならば、必ず浄土に参らせていただける。有り難いことだ。

稲垣瑞劔師「法雷」第63号(1982年3月発行)

3 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

「親様なればこそ」と一たび「親様」ということに気付かせていただいたならば、必ず浄土に参らせていただける。
とありますが、

往生の三カ条
三、南無阿弥陀佛にて往生す

土見誠輝 さんのコメント...

往生の三か条
とありますが、三即一 一即三 であります。
順番に三つコメントさせていただきましたが、順番に揃えていくものではありません。

光瑞寺 さんのコメント...

「落ちる」も「助ける」も佛さまの智見でありますから、佛智の信心の上では三三円融です。

よびごえの うちに信心 落處あり

 佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。  佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...