2023年3月17日金曜日

誓願不思議

「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて往生をば遂ぐるなり」

 この一句の外に佛法なし、私の助かる法なしと思って真剣になると、如来様の大慈悲心が凡夫の心に映って下さる、これがよくよくのお慈悲である。これが分かれば、分かったので助かるに非ず、南無阿弥陀佛! 如来の不可思議の誓願力で助かるのである。

 南無阿弥陀佛は如来様である。それは親鸞聖人が八十四歳の時、お書きあそばされた六字名号には下に蓮台が描かれてある。これは南無阿弥陀佛を如来様として礼拝されたことを示しておる。
 口に浮かぶお念佛も如来様がお出まし下されたのである。何十年まわり路をして、帰ってくるところは元の南無阿弥陀佛である。

 この「誓願不思議」、「極楽の道は一すじ 南無阿弥陀」が分かったら、忘れていても、悪業煩悩が如何に逆巻いても、また、ありがたい思いが起こり、念佛が称えられても、極楽に参れそうになっても、それらのものにて助かるに非ず、「南無阿弥陀佛の佛智の不思議」で助かる、ということが有り難くいただける。

 阿弥陀様は不可思議光如来である。南無阿弥陀佛の不可思議の誓願力の前には煩悩は全滅だ。世界は全滅だ。今までの心も、今までの身も、はからいも、疑いも、善も悪も何もかも全滅だ。一旦全滅したものをまた取り出して、とやかく、ごてごて振り回すのでない。
 ただありがたい。ただ忝い。如来様がありがたい。親様なればこそ、世界全滅のまま、お浄土へ連れて行ってくださるのである。それでこそ誓願不思議である。

稲垣瑞劔師「法雷」第70号(1982年10月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

親鸞聖人が八十四歳の時、お書きあそばされた六字名号には下に蓮台が描かれてある。
とありますが、

いつか現物を拝見したいと思っているところです。
まことに有り難い事であります。
ただ、拝見したときには、落涙するのではなかろうかと心配しています。

光瑞寺 さんのコメント...

南無阿弥陀佛様、生きてござる。
「離しはせぬぞ」とこの身に迫ってくださる。

空手にて いたゞく寳 無尽蔵

 今死ぬとなれば、何一つ役に立つものはない。 役に立つものを一つも持ち合わさないでお助けくださるから、ありがたい。 「ありがたい」とは、如来の不可思議力を不思議と仰いだところに、おのずから湧きおこる歓喜である。 念佛者は、信心歓喜の生活である。 稲垣瑞劔師「法雷」第91号(198...