2023年4月30日日曜日

遇ひ難くして遇うことを得たり

 生死の問題ほど重大な問題はない。
 そのことを自覚しても、それを解決するほど難しい問題はない。
 五欲の酒はよほど美味しいとみえる。その酒を飲み飲みでよいから、佛法を聞いて、この重大問題を解決しなければならぬ。

 一たびこの問題が解決するならば、人生の根本問題が解決されたのであるから、五欲の人生問題もすらすらと解決できる。
 それを人間は知らない。そこに釈迦如来の慈悲の涙がある。御出現の意義がある。
 佛法は是れ安楽の法門であるが、その味わいは知る人ぞ知る。

稲垣瑞劔師「法雷」第72号(1982年12月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

遇ひ難くして遇うことを得たり
とありますが、

『教行信証』「総序」にあるお言葉です。
遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。
まことに慶ばしいかな。

光瑞寺 さんのコメント...

人生問題ばかりに目を奪われている身が、後生大事と不思議にも知らせていただきました。不思議なことです。

和讃と歎異抄の味わい⑹

 四、死と組み打ちして  「語中に語無し」じゃ。「ただ念佛して」とあるからといって、本願のいわれも聞き開くこともなく、ただ口に念佛ばかり称えては、その人の往生は果たしてどうであろうか。  ある人はただ念佛して直ぐ如来の大悲心を感得し、めでたく往生する人もあろうが、またある人は念佛...