2025年1月25日土曜日

鳥部山 煙の末が 恐ろしや

 露の命であるから、自分の生死の問題は急を要する。地獄の猛火がひざの下から、えんえんと燃え上がっておる。その中で佛法を聞く。
 その瞬間に佛法の真味を体得せねばならぬ。それは、如来の大慈悲本願力を、しみじみ感ずることである。

稲垣瑞劔師「法雷」第90号(1984年6月発行)




 

0 件のコメント:

念佛のうた㈠

私は「ただ念佛して」を拝して、そのこころを歌に詠んだ。    念佛のうた 佛法は 耳で聞いて 眼で聞いて 心で聞いて 身で聞いて 身に佛法が つくことは これ上上の 聞きかたか 「無常」を観じ 念じつめ 後生のことに おどろいて 透れぬ関所に ぶちあたり 「解脱の耳」を 振り立て...