光瑞寺(浄土真宗本願寺派)
稲垣瑞劔師(明治18年~昭和56年)のお言葉を通して阿弥陀さまのお慈悲を味わってまいります
2025年1月25日土曜日
鳥部山 煙の末が 恐ろしや
露の命であるから、自分の生死の問題は急を要する。地獄の猛火がひざの下から、えんえんと燃え上がっておる。その中で佛法を聞く。
その瞬間に佛法の真味を体得せねばならぬ。それは、如来の大慈悲本願力を、しみじみ感ずることである。
稲垣瑞劔師「法雷」第90号(1984年6月発行)
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No.154
2011(平成23)年9月発行
生死は佛の御いのち㈥
「生死は佛の御いのちなり」とは、これは甚深微妙の味わいがある。これが本当の佛教、菩薩道というものである。 一体凡夫は、生死を離れて涅槃に到って楽でもしようと思っているのが一般であるが、いよいよ佛法に徹し、「無我」の心境から「大慈悲」が顕れてみれば、涅槃に住して生死をよそ目に見...
自誡
此の法 学ばずんばあるべからず、此の義 言わずんばあるべからず。 佛法は佛法のために学ぶべし。自信教人信のために学ぶべし。 火宅無常の世とはいえ、佛法を聞信する人は必ず法悦法喜がある。 志だにあれば時間と機会は必ず見出すことが出来る。 真宗学徒は一生懸命に聞法研究しておれば健康と...
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