光瑞寺(浄土真宗本願寺派)
稲垣瑞劔師(明治18年~昭和56年)のお言葉を通して阿弥陀さまのお慈悲を味わってまいります
2025年1月25日土曜日
鳥部山 煙の末が 恐ろしや
露の命であるから、自分の生死の問題は急を要する。地獄の猛火がひざの下から、えんえんと燃え上がっておる。その中で佛法を聞く。
その瞬間に佛法の真味を体得せねばならぬ。それは、如来の大慈悲本願力を、しみじみ感ずることである。
稲垣瑞劔師「法雷」第90号(1984年6月発行)
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No.163
法が機になる一すじの道
「いくら聞いてもこちらは、ありがたいこともなく、なんともない。ありがとうなられなくとも、それでよろしいか」 なられたらよし、なられなければそれでもよし。お念佛も出ればよし、出なければそれでよし。今、汝は死の床にあるのでないか、死の床に就いている大病人に、注文はせぬぞ。 苦惱...
一字一光
親鸞聖人のえらいところは、高僧の説を正しく信じ、正しくお説き下されたところが聖人のえらいところである。 親鸞聖人の『教行信証』は、一字一句 如来さまのお慈悲の光明である。 それを末世の衆生に知らせてやりたいと思し召して、一生涯食うものを食わず、着るものを着ずして、千辛万苦の...
功徳
佛法のことにお金を上げると、お寺の功徳には余りならぬが、自分の功徳になる。死んだ人の功徳には少しなる。けれども功徳になると思うたら功徳にならぬ。まあ何でも、上げてくれと仰ったら上げたらよいでないか。功徳・無功徳は忘れてあげるのが上上。 何でも佛法の上では、その時その時の心によ...
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