食うということは大きな問題である。ようまあ、この年まで如来様や、父母や、世間の人達や、お師匠様が養うて下されたことよと思う。眼に見えるところは千万分の一である。目に見ないお育ては海山の御恩である。
人間は、滋養物さえ沢山取れば、それで健康になっていのちも長らえられると思うたら、大間違いである。耳から佛法を聞き、眼で佛像・佛画・聖教・名号を見て、眼からも耳からも、精神的の滋養を取らぬと長生きはできぬ。佛や菩薩方は「禅三昧を食となす」ともあって、精神的の食物の大切なことを思わねばならぬ。
また心得としては、佛法を聞くために養生をする、佛法を説かんがために長寿を欲して養生を守る。すべて佛法中心で、佛法の尊貴なることを思うて、この肉体を大事にしなければ勿体ない。佛法のための身、佛法のためのいのちと思うがよい。
佛法のためとは、一切衆生のためである。自分が第一に佛法をありがたくいただくことが、一切衆生のためになる。
稲垣瑞劔師「法雷」第75号(1983年3月発行)
2 件のコメント:
佛法のためのいのち
とありますが、
誠に法を聞かせていただけることに、感謝する
ばかりであります。有り難い事です。
この身はもとより、この心にこうむったお育ての大きさ、じつに量り知れないのでしょう。ほんとうに粗末にできるものではありません。聞法に励みます。
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