2023年8月15日火曜日

海山の御恩

    食うということは大きな問題である。ようまあ、この年まで如来様や、父母や、世間の人達や、お師匠様が養うて下されたことよと思う。眼に見えるところは千万分の一である。目に見ないお育ては海山の御恩である。
 人間は、滋養物さえ沢山取れば、それで健康になっていのちも長らえられると思うたら、大間違いである。耳から佛法を聞き、眼で佛像・佛画・聖教・名号を見て、眼からも耳からも、精神的の滋養を取らぬと長生きはできぬ。佛や菩薩方は「禅三昧を食となす」ともあって、精神的の食物の大切なことを思わねばならぬ。

 また心得としては、佛法を聞くために養生をする、佛法を説かんがために長寿を欲して養生を守る。すべて佛法中心で、佛法の尊貴なることを思うて、この肉体を大事にしなければ勿体ない。佛法のための身、佛法のためのいのちと思うがよい。
 佛法のためとは、一切衆生のためである。自分が第一に佛法をありがたくいただくことが、一切衆生のためになる。

稲垣瑞劔師「法雷」第75号(1983年3月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

佛法のためのいのち
とありますが、

誠に法を聞かせていただけることに、感謝する
ばかりであります。有り難い事です。

光瑞寺 さんのコメント...

この身はもとより、この心にこうむったお育ての大きさ、じつに量り知れないのでしょう。ほんとうに粗末にできるものではありません。聞法に励みます。

よびごえの うちに信心 落處あり

 佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。  佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...