稲垣瑞劔師(明治18年~昭和56年)のお言葉を通して阿弥陀さまのお慈悲を味わってまいります
自分の後生の問題とありますが、まさに実践的な教えが、仏法であります。いくら色んな言葉を覚えても、勉強しても、知者になっても、仏法の先生になっても、後生には全く役に立たない。全部置いて、後生に旅立つのです。
健康で思い通りに事が進んでいますと、後生をおろそかにしがちです。重ね重ねのいましめ、肝に銘じなくてはなりません。
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世の人は「救い」「救い」と言っておるが、「救い」とは何であるか、殆どすべての人が「救い」を知らない。死を宣告された人から見ると、五欲街道の修理は「救い」でない。 真の救いは、救う人と同じ境地に到達してこそ「救われた」と言えるのである。あるいは、救う人の境地に必ず行けるという大...
2 件のコメント:
自分の後生の問題
とありますが、
まさに実践的な教えが、仏法であります。
いくら色んな言葉を覚えても、勉強しても、
知者になっても、仏法の先生になっても、
後生には全く役に立たない。全部置いて、
後生に旅立つのです。
健康で思い通りに事が進んでいますと、後生をおろそかにしがちです。
重ね重ねのいましめ、肝に銘じなくてはなりません。
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