2024年12月15日日曜日

南無阿弥陀佛の月かげが


「煩悩の雲きり破って 出て下さった」
「たしかな証據 それ 南無阿弥陀佛」
「『法』と云うものは 不思議なものや この私が助かるのやから不思議である」
「あゝ あの月が… 信もわすれて 月かげを」
「信心を得たも得ぬも あったもんかい」
「弥陀と私は松葉かな どこに落ちても二人づれ」

 如来様がお顔を見せてくださったら、それで事済みである。
 「南無阿弥陀佛!」あれが、如来様のお顔である。本願も、名号も、よびごえも、正覚も、すべてが如来様のお顔である。お顔を見ればたのもしい。
 私のすることは、生死を生死にまかして、佛恩報謝のお念佛を楽しむだけである。

稲垣瑞劔師「法雷」第88号(1984年4月発行)

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念佛のうた㈠

私は「ただ念佛して」を拝して、そのこころを歌に詠んだ。    念佛のうた 佛法は 耳で聞いて 眼で聞いて 心で聞いて 身で聞いて 身に佛法が つくことは これ上上の 聞きかたか 「無常」を観じ 念じつめ 後生のことに おどろいて 透れぬ関所に ぶちあたり 「解脱の耳」を 振り立て...