「煩悩の雲きり破って 出て下さった」
「たしかな証據 それ 南無阿弥陀佛」
「『法』と云うものは 不思議なものや この私が助かるのやから不思議である」
「あゝ あの月が… 信もわすれて 月かげを」
「信心を得たも得ぬも あったもんかい」
「弥陀と私は松葉かな どこに落ちても二人づれ」
如来様がお顔を見せてくださったら、それで事済みである。
「南無阿弥陀佛!」あれが、如来様のお顔である。本願も、名号も、よびごえも、正覚も、すべてが如来様のお顔である。お顔を見ればたのもしい。
私のすることは、生死を生死にまかして、佛恩報謝のお念佛を楽しむだけである。
稲垣瑞劔師「法雷」第88号(1984年4月発行)
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