自分は悪きいたずらものとは、どうしても思われぬが、助からぬやつであるとは思われる。
無常迅速 生死の問題は大きいぞ
うかうかするなよ
後生大事とふみ出してから、普通では二十年かかるとしたものである。明師に逢うて真剣になれば一座の説教で信は得られる。
信を得た人は自分が信じておることもすらも知らぬものである。信心や念佛に力こぶを入れておる人はまだまだ聴聞が足らぬ。
「これでよし」もわるいが、「これではいかん」も同じくわるい。本願力はよしあしを超えて凡夫が助かる法である。
聞いておぼえておることを取り出して、これでよしと自分免許の穴の中に、ちぢこんでいては火車来現の時がおそろしいぞ。
落ちる地獄行きということは凡夫で気の付くものではないが、たとい地獄行きが分かったからとて、お浄土へ参れるに極まったのではない。往生はただ本願力一つである。
往生は阿弥陀如来のひとりばたらきと、百千遍聞いていながら、いつの間にやらどうしたら助かるであろうかと思いなやむ心が起こるものである。迷うてはならぬ、本願力が大悲の願船である。南無阿弥陀佛が生死大海の灯炬である。
如来様には無明煩悩を滅ぼし往生成佛させてくださる無量の力があり、無量の功徳がある。それが本願力である。南無阿弥陀佛である。自分は落ちるもの、どうしても落ちる、どう思うても落ちる。御本願様があればこそ。南無阿弥陀佛のお力があればこそ。落ちるまま助かるのである。
如来様が助けてくださるのである。自分の心を以ていくら説教を聴聞しても、そらあかん。助けてくださる如来様は、それ、今の南無阿弥陀佛、お佛壇の中にござる。
如来様の前に坐るとひとりでに赤児になり、阿呆になれる。そしてたのもしい如来様がたのもしうなる。信心をいただいた、いただかぬという議論を止めて、必ず助けて下さるる如来様の佛智大悲の御本願をたのもしく思うがよい。
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