光瑞寺(浄土真宗本願寺派)
稲垣瑞劔師(明治18年~昭和56年)のお言葉を通して阿弥陀さまのお慈悲を味わってまいります
2025年4月5日土曜日
空手にて いたゞく寳 無尽蔵
今死ぬとなれば、何一つ役に立つものはない。
役に立つものを一つも持ち合わさないでお助けくださるから、ありがたい。
「ありがたい」とは、如来の不可思議力を不思議と仰いだところに、おのずから湧きおこる歓喜である。
念佛者は、信心歓喜の生活である。
稲垣瑞劔師「法雷」第91号(1984年7月発行)
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No.163
本願成就文(三)
「南無阿弥陀佛」と聞いて、何十年の聴聞を捨て、知解分別を捨てて、生まれ初めて、名号を聞く思いをするがよい。聞き始めが、聞き納め。往生極楽の道は是れ一つ。 「極楽の 道は一すじ 南無阿弥陀」 「これはこれは」と、驚き入り、歓喜胸に満ち、己れ忘れて、南無阿弥陀佛の威神功徳...
法が機になる一すじの道
「いくら聞いてもこちらは、ありがたいこともなく、なんともない。ありがとうなられなくとも、それでよろしいか」 なられたらよし、なられなければそれでもよし。お念佛も出ればよし、出なければそれでよし。今、汝は死の床にあるのでないか、死の床に就いている大病人に、注文はせぬぞ。 苦惱...
不思議のはたらき(二)
凡夫は、いくら佛法を聞いても何ともない。昔の自分と少しも変わらぬ。 それがそのままお浄土へ参らせていただくのであるから不思議である。いよいよ「このまま」である。 如来誓願の不思議、名号の不思議が、不思議と分かっての上の「このまま」である。 それが分からぬ前に「このまま」と...
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