六、称名念佛をはげむ人
滋賀県にある一人のお坊さんがおられる。なかなか立派な、まじめな御僧である。そのお方は、第十八願の純粋他力の信心を長い間求められたが、どうしても「佛智即行」とか「尽十方無碍光如来一法身(いっぽっしん)の独立」とか「本願力一つ」とか、また法然上人のお歌のように、
「ききえては 野中に立てる 竿なれや かげさわらぬを 他力ぞといふ」
といった白木の念佛、自力の雑わらぬ念佛、南無阿弥陀佛そのままの念佛のこころ、すなわち誓願不思議の大悲心が、美しくいただくことができなかったということである。そこでそのお坊さんは、
「自分はどうしても第十八願の信心がいただけぬ。ゆえに真実報土へは参られぬ。自分は化土往生でも結構である。念佛すれば往生は間違いないから、云々」
といって、神妙に毎日お念佛を、ご自身も励み、また門徒の人たちにも「お前たちも念佛せよ」と勧めておられるということである。
もとより人の噂であり、そう言われる坊さん自身も、いつの頃か「おしへざれども自然に真如の門に転入」しておられることであろうが、噂だけで判断すると、教化の一方便かもしれないがどうも親鸞聖人の化風とはちがう。やはり「ただ念佛して」の本当のおこころを人に伝えるべきではなかろうか。
稲垣瑞劔師『法雷』第93号(1984年9月発行)



