2019年7月13日土曜日

佛法の楽しみ

 佛法というものはありがたいもので、聞いても、読んでも、話しても、何とも云われぬ。これを喜楽というか、慶喜というか、法楽というか、法悦というか、名状することが出来ない楽しみがある。生死出ずべき道を求めて、生死を如来誓願の「よびごえ」のうちに解決していただいたら、角駄を下ろした感じがする。

 後生の問題について苦が抜けたのを「信心歓喜」という。曇鸞大師はそれを「信心歓喜慶所聞」と申された。親鸞聖人は「遇ひ難くして今遇ふことを得たり、聞き難くして已に聞くことを得たり」といってよろこばれた。

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 今死ぬとなれば、何一つ役に立つものはない。 役に立つものを一つも持ち合わさないでお助けくださるから、ありがたい。 「ありがたい」とは、如来の不可思議力を不思議と仰いだところに、おのずから湧きおこる歓喜である。 念佛者は、信心歓喜の生活である。 稲垣瑞劔師「法雷」第91号(198...