昭和五十一年も余日少なく本年の幕は閉じられるのであるが、瑞劔が心を用いたところは「生死出ずべき道」を見出すことであった。それには親鸞聖人がわれらに語らんと思し召された中心点はどういうことであったろうか。言い換えれば聖人の眼睛、「はらわた」は、那辺にあるか、それを見出したい事であった。それは
「竊かに以れば、難思の弘誓は難度海を度する大船、
無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」
である。「南無阿弥陀佛のよびごえ一つ」である。
稲垣瑞劔師 「法雷」創刊号(1977年1月発行)
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