凡夫は風呂の焚き物にも及ばぬ、値打ちの無いものであるが、如来さまは慈悲の父であり、母である。私を可愛い一人子であると仰せられる。
ここに信心と往生の秘鍵がある。
「落とさぬぞよ、必ず助くるぞよ」と仰せられるのは親なるが故である。真心徹到とは親がわかった時である。金剛の信心とは親心がわかったことである。
親になってみないと親心がわからぬ。そこは親鸞聖人のことばを通して、親と親心を知らせて頂くのである。
親鸞聖人なく、親鸞聖人のことばなくして、如来と本願力を信知するということはあり得ない。得道の人ここに在り、また何をか疑わんやである。
「法雷」誌 第2号(1977年2月発行)巻頭言
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