2019年9月11日水曜日

筆の先に大悲の親さまが

 浮世のこともそうであるが、人間は一つの事に精魂を打ち込むことが幸福である。成功する成功しないは別問題である。
 佛法に精魂を打ち込むと不思議なことがある。『安心の極意』という本を私は百巻を目標に書き始めた。思想がまとまって、それから書くというのでなく、何か書きたい題目が浮かぶと書き始める。
 すると初め一二行書くとその次は、平素思うていないことでも、またこれまで自分で分からなかった事でも、すらすらと筆がひとりでに走ってくれる。これはありがたいことだ。また不思議なことでもある。筆の先に大悲の親さまが乗っていて下さって、この本を読んで信を取ってくれよと、一字ごとに、一句ごとに申しておられる。

稲垣瑞劔師『法雷』第2号(1977年2月発行)

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