病中、いくら有難いことを言っても、書いて送っても、少しも聞こうとしなかったが、病漸く重くなったことを聞いて、これが私が申し上げる最終の言葉として
「南無阿弥陀佛の功徳力にて往生す」
と書き送った。
すると不思議なことには、この言葉だけ見て涙をこぼして喜ばれた。それから二三日して亡くなった。他の如何なる言葉も受け付けなかった彼の人が、この言葉を読んで初めて感激の涙をこぼして喜ばれた。
これは南無阿弥陀佛(無量寿佛)の威神功徳不可思議である。
ここに「南無阿弥陀佛の独立」を見るのである。
稲垣瑞劔師「法雷」第6号(1977年6月発行)
2 件のコメント:
「南無阿弥陀佛の功徳力にて往生す」
この言葉だけ見て喜ばれた。とありました。
瑞劔師のお言葉と聞いていますが、
「参れると思うて参れぬ お浄土へ 本願力にて往生す」
と同じお言葉と味わせて頂きました。
最後の一語が響いたとは、それまでの言葉でも「これが最後」「これが最後」と、最後の一語をどこまでも続けて下さっていたのではないだろうか、と思うことです。
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