2020年1月18日土曜日

「無量寿佛 威神無極」

 昭和51年5月26日、神戸の六十八歳になる井口廣さんが亡くなられた。
 病中、いくら有難いことを言っても、書いて送っても、少しも聞こうとしなかったが、病漸く重くなったことを聞いて、これが私が申し上げる最終の言葉として
  「南無阿弥陀佛の功徳力にて往生す」
と書き送った。
 すると不思議なことには、この言葉だけ見て涙をこぼして喜ばれた。それから二三日して亡くなった。他の如何なる言葉も受け付けなかった彼の人が、この言葉を読んで初めて感激の涙をこぼして喜ばれた。
 これは南無阿弥陀佛(無量寿佛)の威神功徳不可思議である。
 ここに「南無阿弥陀佛の独立」を見るのである。

稲垣瑞劔師「法雷」第6号(1977年6月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

「南無阿弥陀佛の功徳力にて往生す」
この言葉だけ見て喜ばれた。とありました。

瑞劔師のお言葉と聞いていますが、
「参れると思うて参れぬ お浄土へ 本願力にて往生す」
と同じお言葉と味わせて頂きました。

光瑞寺 さんのコメント...

最後の一語が響いたとは、それまでの言葉でも「これが最後」「これが最後」と、最後の一語をどこまでも続けて下さっていたのではないだろうか、と思うことです。

和讃と歎異抄の味わい⑹

 四、死と組み打ちして  「語中に語無し」じゃ。「ただ念佛して」とあるからといって、本願のいわれも聞き開くこともなく、ただ口に念佛ばかり称えては、その人の往生は果たしてどうであろうか。  ある人はただ念佛して直ぐ如来の大悲心を感得し、めでたく往生する人もあろうが、またある人は念佛...