2020年8月4日火曜日

本典総序の聖句(二)

真宗聖教はこの聖句より出でこの聖句に収まる

「正信偈」「和讃」『御文章』乃至『教行信証』まで、この聖句から出て、この聖句に収まる。信心またこの聖句のうちに在る。如来を忘れ、勅命を忘れて信心はなく、聖句を忘れて信心はない。

 「難思の弘誓」と「無碍の光明」。一生涯、日々、思い出しては憶念し、憶念してはこれを吟(くちずさ)み、考え考え、この聖句のうちに含まれている無限の味いを、味わい味わい喜んでおることが信心であり、また信心をいただく秘訣である。

如来の生命、聖人の心髄、この一句に在り

御本典には巻頭に、
 「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり」
とあり、文類聚鈔には巻頭に、
 「夫れ無碍難思の光耀は苦を滅し楽を証す」
とある。如来の生命、聖人の心髄、この一句に在る。また衆生往生の秘鍵である。

 何十年も、この聖句を研究し、味わい続けて、常に憶念して止まざれば、凡夫の知解分別を飛び越えて、「無碍の光明」に同化せられるであろう。是れ即ち南無阿弥陀佛であり、本願力であり、また実に我等の信心歓喜である。

稲垣瑞劔師「法雷」第14号(1978年2月発行)

3 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

我等の「信心歓喜」である。とありますが、
願成就文には、「聞其名号 信心歓喜」とあり、
名号(南無阿弥陀佛)を聞くことが大事です。

と教えていただいております。

土見誠輝 さんのコメント...

名号を聞くとは、大悲の願心を聞くことです。

「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、(信巻)
「本願のいわれ」を聞くことです。

と教えていただいております。

光瑞寺 さんのコメント...

名号を「衆生のためにお建て下さった御本願のはたらき」とお聞きするところに信心歓喜がある。
その「聞く」とは「よびごえ」である。

「一法 南無阿弥陀佛のよびごえのうちに、機と法とが語られる」(2020/03/19)

よびごえの うちに信心 落處あり

 佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。  佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...