2020年10月15日木曜日

信心銘(16)その二

  • この世の利益幸福を求めて神信心する人は皆迷信である。生死を離れる道を求めて聴聞する人は、やがて信心歓喜の暁に出られるであろう。凡夫の思いが何になる、自分が知ったとてそれが何になる。自分の心をせせって佛様を見ぬ、あかんあかん。

  • 信心いただいたと思うたことも幾千べん、つぶれたことも幾千べん。幾たびか思い返して変わるらん、頼みがたきは我がこころかな。念佛でも信心でも、何ぞして参ろうと思う心は皆自力、何にも出来ぬおろかものと思われぬか。往生は如来さまのおはからいである。

  • 佛法は耳で聞くか身で聞くか、心で聞くか我れが聞くか、永々の光明のお育てによりて聞かせてもらうのである。
  • 三十年聴聞するよりも、三十年かかって信心のある良き師匠を探せ。師匠の一言、山よりも重く、千金よりも尊し。

  • 尽十方無碍光如来様様は、我らがための真実功徳のかたまりである。始めて我らが信じて参るのではない。無碍光如来に帰命するところ、これすなわちまことの信心である。

  • 先生も不親切、同行も不熱心、これでは佛法はだんだん衰えるばかりである。

  • 聖人の大人格を仰ぎ、佛陀の前に恭敬の頭を垂るるとき、求むるもの皆満足す。これが始めの終わりなり。

  • 大道を 歩むすがた(聖人)を ながむれば 心配もなし 安心もなし

稲垣瑞劔師「法雷」第16号(1978年4月発行)

 

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

上から2番目の
「念佛でも信心でも、何ぞして参ろうと思う心は皆自力、何にも出来ぬおろかものと思われぬか。」を取り上げます。

正信偈の「邪見憍慢悪衆生 信楽受持甚以難」の言葉であると思いました。

阿弥陀様から助からんものだと、聞かせていただく大悲の言葉です。

光瑞寺 さんのコメント...

愚かを愚かとも知らぬほどの愚か者、けれど阿弥陀さまからお聞かせいただいたら、間違いなし。

よびごえの うちに信心 落處あり

 佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。  佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...