稲垣瑞劔師(明治18年~昭和56年)のお言葉を通して阿弥陀さまのお慈悲を味わってまいります
「平等にして一子の如し」から、「平等心をうるときを 一子地となづけたり一子地は仏性なり 安養にいたりてさとるべし」(浄土和讃)のご和讃を思いました。
菩薩があらゆる者を平等に見る心を得る境地のことを、一切の衆生をひとり子のように慈しみ悲しむ心を持つ境地という意味から「一子地」と名付ける。と和讃の解説がありました。私事ですが、この世の実母(明日大腿骨摘出手術予定)からも、慈悲のこころを長年受けております。
ふと思ったのですが、「あらゆる者を平等に見る心」が、やがて「一人子のように慈しむ心」と展開するのですね。偏りのない平等の眼が開かれてこそ、本当に衆生を慈しむ心が生まれると言える。私たちは分け隔ての中で生きておりますから、私たちの一子への愛情は偏愛でしかないのかもしれません。それでもその中で、愛情を受ける喜びを感じ、それが何物にも代え難いことを知ります。そこに御恩を感じるのでしょう。お母様の手術の無事を念じ申し上げます。
コロナ禍で、病院での面会禁止で、手術がいつ始まりいつ終わるのかも分からないので心配をしましたが、人工関節に置き換わりましたと連絡を受けました。私たちはいつもビクビクしており、そんな者はお念仏を称えて、仏様といつもご一緒、一体となるのが一番です。また、お陰様で中央仏教学院通信教育を受講させていただくこととなりました。 南無阿弥陀佛南無阿弥陀佛
ひとまずは手術の成功をお慶び申し上げます。今後もリハビリなど大変でしょうが、やるせなき時も佛さまがご一緒、まことにお念佛が有り難うございます。中央仏教学院のご入学も、おめでとうございます。数年毎に中仏の入学案内が届くのですが、会報に掲載されている学院長挨拶に感銘を受けます。新たに仏教の学びを始める方々への期待と応援の言葉に、こちらも気持ちを新たにさせられます。ともに学ばせて頂きましょう。
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佛智の不思議は、本当に不思議で、凡夫などの想像も及ばぬところである。佛には佛智と大悲がとろけ合っておる。それがまた勅命とも名号ともとろけ合っておる。 佛の境界は、妄念に満ち満ちた私の心を、佛の心の鏡に映じて摂取不捨と抱き取って下された機法一体の大正覚である。もはや佛心の鏡に映...
5 件のコメント:
「平等にして一子の如し」から、
「平等心をうるときを 一子地となづけたり
一子地は仏性なり 安養にいたりてさとるべし」
(浄土和讃)
のご和讃を思いました。
菩薩があらゆる者を平等に見る心を得る境地のことを、一切の衆生をひとり子のように慈しみ悲しむ心を持つ境地という意味から「一子地」と名付ける。
と和讃の解説がありました。
私事ですが、この世の実母(明日大腿骨摘出手術予定)からも、慈悲のこころを長年受けております。
ふと思ったのですが、「あらゆる者を平等に見る心」が、やがて「一人子のように慈しむ心」と展開するのですね。偏りのない平等の眼が開かれてこそ、本当に衆生を慈しむ心が生まれると言える。
私たちは分け隔ての中で生きておりますから、私たちの一子への愛情は偏愛でしかないのかもしれません。
それでもその中で、愛情を受ける喜びを感じ、それが何物にも代え難いことを知ります。
そこに御恩を感じるのでしょう。
お母様の手術の無事を念じ申し上げます。
コロナ禍で、病院での面会禁止で、手術がいつ始まりいつ終わる
のかも分からないので心配をしましたが、人工関節に置き換わり
ましたと連絡を受けました。
私たちはいつもビクビクしており、そんな者はお念仏を称えて、
仏様といつもご一緒、一体となるのが一番です。
また、お陰様で中央仏教学院通信教育を受講させていただくこと
となりました。 南無阿弥陀佛南無阿弥陀佛
ひとまずは手術の成功をお慶び申し上げます。
今後もリハビリなど大変でしょうが、やるせなき時も佛さまがご一緒、まことにお念佛が有り難うございます。
中央仏教学院のご入学も、おめでとうございます。
数年毎に中仏の入学案内が届くのですが、会報に掲載されている学院長挨拶に感銘を受けます。新たに仏教の学びを始める方々への期待と応援の言葉に、こちらも気持ちを新たにさせられます。
ともに学ばせて頂きましょう。
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