稲垣瑞劔師(明治18年~昭和56年)のお言葉を通して阿弥陀さまのお慈悲を味わってまいります
心配で一杯の私がいるから、「心配するな」という大悲があるのです。もし、信を獲て心配しなくなったらご用心。ご用心。心配しなくなったものには、「心配するな」という親様がいなくなっているのです。
同じく浅原才市翁のお歌に「晴れた心に安心するは 自力 疑い 毒虫よ」厳しい言葉も「心配するな」の裏返し、用心の上にも用心が必要な私への懇ろなお諭し、有り難いことです。
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四、死と組み打ちして 「語中に語無し」じゃ。「ただ念佛して」とあるからといって、本願のいわれも聞き開くこともなく、ただ口に念佛ばかり称えては、その人の往生は果たしてどうであろうか。 ある人はただ念佛して直ぐ如来の大悲心を感得し、めでたく往生する人もあろうが、またある人は念佛...
2 件のコメント:
心配で一杯の私がいるから、「心配するな」という大悲があるのです。
もし、信を獲て心配しなくなったらご用心。ご用心。
心配しなくなったものには、「心配するな」という親様がいなくなっているのです。
同じく浅原才市翁のお歌に
「晴れた心に安心するは
自力 疑い 毒虫よ」
厳しい言葉も「心配するな」の裏返し、用心の上にも用心が必要な私への懇ろなお諭し、有り難いことです。
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