「このまま」ということは、本願力の救済であるから、絶対の無条件の救済のことを「このまま」という。言葉は知っておるが、「このまま」になっておる人は少ない。
父久太郎が、神戸駅の近くに住んでいた住川のおばさんに、何十回、何百回となく、「おばさん、心配しなさるなよ、このままやで」と言って聞かせておったのであるが、そのおばさんは、いつも「はいはい」といって聞いておった。
父が死んでから、さて「このまま」ということは、どういう意味かと考え出した。
考えても考えても、わからん。毎日毎日、十年間「このまま」を考え抜いた。
十年経って初めて「本願名号の不思議のこのまま」であるということが分かった。
それほど、「このまま」の味はむつかしい。
このままと 云えどこのまま 幾千種
「このまま」の意味が、ほんとうに味わわれたところが、「聞其名号 信心歓喜 乃至一念」である。
稲垣瑞劔師「法雷」第20号(1978年8月発行)
2 件のコメント:
「このまま」という説教は、「まるまま」と言ってみたり、
このような説教はよくあります。
この根拠はどこにあるのか、それは弥陀の第十八願です。
「乃至十念 若不生者 不取正覚」と
このご文のどこにも、阿弥陀様は、十方衆生に何の要求も
されていません。
「このまま」とは私の側の話かと思いきや、御本願の御心でありました。
救いを凡夫の側で語らず、佛さまの側でいただく話は有り難い、有り難うございます。
コメントを投稿