「一切衆生悉有佛性」とは、一切衆生は未来に必ず大信心を得るからである。
如来の正覚は時空を超越して、常に現在の一念である。これを正覚の一念という。
正覚の一念が凡夫の世界に流れて、因果の制約の中に現れると、三世十方の往生がある。
三世の往生は各別であるが、弥陀正覚の一念の外なるものではない。
正覚の一念常住なれば、弥陀の名願力は常住である。本願力にめざめた時を帰命の一念という。
九十三歳 瑞劔
稲垣瑞劔師「法雷」第21号(1978年9月発行)
2 件のコメント:
「正覚の一念」は、安心決定鈔にありました。
「…機によりて三世は不同なれども、弥陀のかはりて成就せし正覚の一念のほかは、さらに機よりいささかも添ふることはなきなり。…」
已・今・当の三世の往生は不同なれど、
ただ今救うと仰られていますから、ただ今救われてください。
「一切を救う正覚を得たぞ」とお立ちあそばす如来さまの腕の中に、佛縁の厚い人・薄い人、已往生・未往生、不同なる人々が抱かれてある、そんな有り様を描いていましたが、「私の救い」となったら「ただ今救う」の仰せ以外に、どこを探してもないのですね。
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