光瑞寺(浄土真宗本願寺派)
稲垣瑞劔師(明治18年~昭和56年)のお言葉を通して阿弥陀さまのお慈悲を味わってまいります
2021年2月21日日曜日
お寺だより 26
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No.161
本願成就文(三)
「南無阿弥陀佛」と聞いて、何十年の聴聞を捨て、知解分別を捨てて、生まれ初めて、名号を聞く思いをするがよい。聞き始めが、聞き納め。往生極楽の道は是れ一つ。 「極楽の 道は一すじ 南無阿弥陀」 「これはこれは」と、驚き入り、歓喜胸に満ち、己れ忘れて、南無阿弥陀佛の威神功徳...
功徳
佛法のことにお金を上げると、お寺の功徳には余りならぬが、自分の功徳になる。死んだ人の功徳には少しなる。けれども功徳になると思うたら功徳にならぬ。まあ何でも、上げてくれと仰ったら上げたらよいでないか。功徳・無功徳は忘れてあげるのが上上。 何でも佛法の上では、その時その時の心によ...
本願名号が私の上にはたらいて
阿弥陀如来の本願というは、南無阿弥陀佛を聞かせて信ぜしめて、極楽へ迎え取らんと誓いたもうたのを「本願」という。 ゆえに本願と名号は不二一体である。 ゆえに六字釈は本願論であり、本願力を仰ぐことが六字釈である。 六字というと文字であるとばかり思って、死にものに取り扱っては六...
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