- 佛教で一番大切な点は、佛とはとういうものか、凡夫とはどういうものか、凡夫が佛に成るにはどうしたら成れるか、という問題である。この三点に問題を絞って、聞いたり、考えたりしなければ駄目だ。
- 佛教とは、転迷開悟を目的とし、迷いの原因結果と、悟りの原因結果を教えたものが佛教である。
- 小乗佛教とは、この世は苦である、霊魂(我)の存在を否定する、涅槃は寂静である旨を説く。
- 大乗佛教とは、宇宙万物はすべて相依相関していて、「第一原因」(神)といったものを立てない。また「諸法実相」(心性、法性、真如)といった絶対の真理を説く。
- 華厳宗は、佛の智慧すなわち万物の真理が、上から人間界にあらわれたと説く。
- 天台宗は、凡夫の一念の中にも、三千大千世界が蔵(おさ)まっているという。
- 真言宗は、万物はすべて大日如来であるといって、物質と精神の不二を論ずる。
- 禅は、見性成佛、心外無別法と説いて、坐禅を専らにして、心が佛である旨を悟る。
- 真宗は、凡夫は無知・無力で、罪悪の塊であるから、自力ではどうしても佛に成れぬ、阿弥陀如来の智慧と慈悲と本願名号の力と、如来の功徳力にて凡夫が佛に成るのである、と教える。実際のところ、これより他に生死を出ずる道はあることなし。
- 日蓮宗や創価学会は、天台宗から派生したもので、即身成佛などといっておるが、実際の生活は凡夫そのものの生活である。
- 神道は、宗教でもあり、国家の儀式でもある。神にもなれず、佛にも成れない。清浄を教えるが「無我」や「無分別」などを教えない。
- 新興宗教は、これは千差万別で、皆口では上手に言っておるが、これまた「転迷開悟」などとは縁遠い宗教である。現世利益が主なものである。
- キリスト教は、天地創造の一神を立てるが、これまた神に成る道は説かない。「迷悟染浄の因縁」を説かない。人間は罪の子であるというが、罪の本源を究めない。「佛性」を説かない。
- 佛教は、どの宗派でも「篤く三宝を敬え」というのが佛教であるから、立派なものであるが、もし悪いところがあるとするならば、それは佛教が悪いのでなく、信徒と言われる人間が悪いのである。
- 人間のおろかさ、あさましさ、人生は束の間の夢ということが、八十、九十の坂を越えたらわかるであろう。夢とは言えど摂取光中。
稲垣瑞劔師「法雷」第21号(1978年9月発行)
2 件のコメント:
神道は、○○教といった教えではなく、色んな処に
神が宿っているという古代日本人からの思い。
良い神もあれば、悪い神もあり、崇める人間の都合
で何とでもなる。
壮大な自然物や不可解な現象など〈得体の知れない存在〉は、畏怖し崇拝することで何とか折り合いをつけてきたのでしょう。
そういう古代にあって、佛教の真価を受け止められた聖徳太子とはやはりただの偉人ではありません。
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