信巻に曰く「信は能く永く煩悩の本を滅す」(華厳経)と。
何故に大信心が煩悩の本、すなわち無明の闇を滅するのであるか。
自力の信心ならば、いかに強烈な信心でも、無明を滅し「生死勤苦の本」を抜くことは出来ない。またその様に思われるものでも、信じられるものでもない。
然しながら如来無碍の光明は、能く無明の闇を破するのである。
その無碍光の利益より威徳広大の信を得れば、その信心また無碍光の力用を任持して、能く無明煩悩の本を滅するのである。
無碍光の身心に徹するところ、また何をか望まんやである。
大信心の威徳は無碍光の威徳である。ただ有り難い、忝い、「これはこれは」と讃嘆あるのみである。
これを天親菩薩は「帰命尽十方無碍光如来!」と仰せられたのである。
稲垣瑞劔師「法雷」第22号(1978年10月発行)
2 件のコメント:
読み下しの「信は能く永く煩悩の本を滅す」は、
現代語の「信は煩悩のもとを完全に滅ぼす。」とありました。
ここの「信」は、自力の信心ではなく、まことの大信心です。
煩悩を円満具足し、自力心を片時も離れたためしのない私が、他力の信を恵まれて、智慧のうしほに一味になるとは。
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