2021年2月12日金曜日

無碍光の利益より

 信巻に曰く「信は能く永く煩悩の本を滅す」(華厳経)と。

 何故に大信心が煩悩の本、すなわち無明の闇を滅するのであるか。
 自力の信心ならば、いかに強烈な信心でも、無明を滅し「生死勤苦の本」を抜くことは出来ない。またその様に思われるものでも、信じられるものでもない。

 然しながら如来無碍の光明は、能く無明の闇を破するのである。
 その無碍光の利益より威徳広大の信を得れば、その信心また無碍光の力用を任持して、能く無明煩悩の本を滅するのである。
 無碍光の身心に徹するところ、また何をか望まんやである。

 大信心の威徳は無碍光の威徳である。ただ有り難い、忝い、「これはこれは」と讃嘆あるのみである。
 これを天親菩薩は「帰命尽十方無碍光如来!」と仰せられたのである。

稲垣瑞劔師「法雷」第22号(1978年10月発行)

2 件のコメント:

土見誠輝 さんのコメント...

読み下しの「信は能く永く煩悩の本を滅す」は、

現代語の「信は煩悩のもとを完全に滅ぼす。」とありました。

ここの「信」は、自力の信心ではなく、まことの大信心です。

光瑞寺 さんのコメント...

煩悩を円満具足し、自力心を片時も離れたためしのない私が、他力の信を恵まれて、智慧のうしほに一味になるとは。

和讃と歎異抄の味わい⑹

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