自力聖道門は先ず高山を照らし、後に幽谷に及ぶのであるが、本願一乗は高山・幽谷一時に春陽の恵みに浴す。
ここに修行の久近を問うことなく、善人悪人の隔てなく、造罪の多少を問わず、本願力によりて名号の大海に入る。
和讃に曰く
「本願円頓一乗は
逆悪摂すと信知して
煩悩菩提体無二と
すみやかにとくさとらしむ」
と。
本願一乗の味わいは、御文の「なんの不足ありてか諸行諸善にこころをとどむべきや」とのたまえる味わいである。
本願一乗は絶対門である、一切の佛法は本願一乗より他なきものである。
本願一乗の春陽は平等一色である。これ一法身のすがたである。これを「尽十方無碍光如来」と申し上げる。
浄土の荘厳は如来の光明の変現である。如来悲智の示現である。
咲き匂う梅の花を見るにつけ、浄土の三厳を憶う。憶念のうちに無量劫の罪を滅す。
これにて知るべし、浄土はそれ自体「大功徳聚(だいくどくじゅ)」である。和讃に曰く
「本願功徳聚を帰命せよ」
と。佛土まことに不思議である。
「本願功徳聚を帰命せよ」
と。佛土まことに不思議である。
転悪成善の徳は名号の徳である。
華天密禅の大乗は是心即佛、即身成佛等の法を説けども、なおかつ断悪証理の法である。
「不断煩悩得涅槃」の一法、いかに法然上人のこころを引きつけたことであろう。
また高祖聖人の、自力を捨てて本願に帰したまいしもこれがためである。
佛願力によりて易く往生する。
稲垣瑞劔師「法雷」第32号(1979年8月発行)
3 件のコメント:
佛願力によりて易く往生する。
とありますが、
易行であり、これ以上に易しいものはありませんが、
難信であるのです。
つまり信ずることは難しい。
極難信の法であります。
まことに極難信の法です。ゆえに先人たちが口を酸っぱくして、自力の執心を離れよと誡めてくださいます。
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